特定のシチュエーションや架空のキャラクターになりきり、短い劇の中で笑いを追求するコント。
漫才が「話芸」であるのに対し、コントは「演劇」の要素が強く、その舞台は寄席からテレビ、そして現代ではインターネットへと広がり、時代ごとの社会の姿を映し出してきました。日本のエンターテイメント史において、コントが果たした役割は計り知れません。
この記事では、コントの発祥となった戦後の劇場文化から、ザ・ドリフターズやダウンタウンといった歴代のコント師による革新、そして現在のキングオブコント(KOC)に至るまでの全歴史を徹底解説します。
コントのルーツ:戦後の「軽演劇」とストリップ劇場の幕間
日本のコントの歴史は、第二次世界大戦後の混乱期、人々の娯楽が求められた時代に始まります。
「コント」の語源と初期の形態
コント(Conte)という言葉は、もともとフランス語で「短編小説」を意味します。日本の演芸においては、芝居のストーリーの一部を抜粋して演じる「軽演劇(けいえんげき)」や、即興の寸劇を指す言葉として使われ始めました。
コントの原型は、戦後のストリップ劇場や大衆演劇場で、メインのショーの「幕間(まくあい)」のつなぎとして行われていた、短いお芝居や寸劇にあると言われています。ここから、設定と登場人物がいて、短い時間で笑わせるという現代のコントの基本構造が生まれました。
戦後のエンタメ復興:浅草と軽演劇の隆盛
コントの土壌を築いたのは、浅草などの盛り場にあった軽演劇の劇場です。
エノケン(榎本健一)やロッパ(古川緑波)といった戦前の喜劇役者の流れを汲みながら、戦後の新しい笑いの形が模索されました。特に、三木のり平や、後のコント55号にも影響を与えたてんぷくトリオ(三波伸介、伊東四朗、戸塚睦夫)らが、軽演劇からテレビへと舞台を移し、コントを全国区の娯楽へと押し上げる原動力となりました。
第一次テレビ時代:コントの黄金期と二大巨頭
1960年代後半、テレビがお茶の間の中心になると、コントは一気に国民的エンターテイメントとして花開きます。
コント55号:革命的な「型破りコント」の衝撃
1966年に結成されたコント55号(萩本欽一、坂上二郎)は、当時の演劇的なコントの常識を打ち破る革新をもたらしました。
萩本欽一が「ツッコミ」や「狂言回し」として観客に状況を説明し、坂上二郎が「ボケ」として破天荒な行動をするというスタイルは、当時のコントとしては異例のスピード感とハチャメチャさがありました。
彼らの代表的なテレビ番組『コント55号の世界は笑う』では、台本通りに進まない、観客を巻き込むような「型破りコント」が特徴で、舞台と客席の距離を縮め、後のテレビバラエティにも多大な影響を与えました。
ザ・ドリフターズ:国民的バラエティの確立
1969年にスタートした『8時だョ!全員集合』で伝説となったのが、ザ・ドリフターズです。
彼らのコントは、観客を入れた公開生放送という特殊な形態と、大がかりなセットを使ったドタバタコントが特徴でした。特に、長介(いかりや長介)の厳しいツッコミと、ブー(高木ブー)、工事(仲本工事)、加トちゃん(加藤茶)、そして1974年に加入した志村けんの強烈なキャラクターが組み合わさり、老若男女に愛される「お茶の間コント」を確立しました。
加藤茶と志村けん:「コントの神様」たちの功績
ドリフの中でも、特にコントの歴史に大きな功績を残したのが、加藤茶と志村けんです。
- 加藤茶: 「ちょっとだけよ」「カトちゃんぺ!」といった流行語を生み出し、ボケ役として絶大な人気を誇りました。
- 志村けん: ドリフ加入後に才能を開花させ、「東村山音頭」や「変なおじさん」などのキャラクターコントで社会現象を巻き起こしました。彼のコントは、悲哀や哀愁を感じさせる「人間」を描き、後のコント師たちに大きな影響を与え、「コントの神様」として尊敬を集めています。
お笑い第三世代:コントの革新と多様化
1980年代、「漫才ブーム」の流れの中から、漫才とコントの境界を自由に行き来する「お笑い第三世代」が登場し、コントに新たな価値観を持ち込みました。
ダウンタウン:関西から東京への「新感覚コント」
ダウンタウン(松本人志、浜田雅功)は、漫才だけでなくコントにおいても革新をもたらしました。
彼らのコントは、日常に潜む不条理な設定や、松本人志が作り出すナンセンスでシュールな世界観が特徴で、『ダウンタウンのごっつええ感じ』(1991年〜1997年)は、新しい世代のコントのバイブルとなりました。彼らは、コントを「演劇」から「表現」へと昇華させ、その後の芸人文化に計り知れない影響を与えました。
内村光良(ウッチャンナンチャン):設定と演技力重視のコント
ウッチャンナンチャン(内村光良、南原清隆)は、『夢で逢えたら』(1988年〜1992年)などで活躍。
特に内村光良は、緻密に練られた設定と、演劇的な演技力に裏打ちされたコントを得意としました。舞台出身の彼らが追求したのは、ダウンタウンとは異なる、リアリティと設定の妙で笑わせるコントでした。
平成・令和時代:賞レース文化とコントの芸術化
2000年代以降、コントは再び「芸」として再評価され、賞レースという形でその芸術性が競われる時代を迎えます。
キングオブコント(KOC)の誕生とコント師の地位向上
2008年にスタートした『キングオブコント(KOC)』は、漫才のM-1グランプリと同様に、コント師の地位を飛躍的に向上させました。
KOCは、「誰が一番面白いコントを作るか」を競う場であり、コント師たちは、設定、構成、演出、演技の全てを磨き上げることが求められるようになりました。この賞レースを通じて、東京03、ロバート、バイきんぐ、サンドウィッチマンなど、コントに特化した実力派芸人が全国的なスターとなり、コントの芸術化を加速させました。
東京03、ロバート:コント師の「ドラマ性」の追求
現代のコントシーンを代表する芸人たちは、緻密な設定とドラマ性を追求しています。
- 東京03: 日常の些細な「気まずさ」や「ストレス」といった、誰もが経験する感情をテーマに、コントをまるで短編ドラマのように昇華させることに成功しました。
- ロバート: 秋山竜次の圧倒的な憑依芸、山本博のボクシング、馬場裕之の安定感(料理)が組み合わさり、設定に入り込んだ「なりきりコント」で独自の地位を築いています。
映像技術との融合:YouTubeとコントの未来
令和の時代に入り、YouTubeやTikTokなどのネット配信プラットフォームが、コントの新しい舞台となっています。
若手芸人やクリエイターは、テレビの枠にとらわれない自由な発想でコントを制作し、映像技術を駆使した新しい表現にも挑戦しています。コントは、発祥から常にメディアの進化とともにあり、これからも形を変えながら、笑いの創造主としてその歴史を紡いでいくでしょう。
まとめ:コントは時代を映す「ミニドラマ」である
日本のコントの歴史は、戦後の混乱から生まれ、テレビという巨大なメディアで育ち、そして現代の賞レース文化でその芸術性を確立してきました。
コント55号の熱狂的なドタバタから、ドリフターズの愛されるキャラクター、ダウンタウンのシュールな不条理、そしてKOCで競われる緻密な設定まで、コントは常にその時代の社会と大衆の心を映し出す「ミニドラマ」であり続けています。
コント師たちが描き出す非日常の世界は、私たちの日常に笑いと安らぎを与えてくれます。これからも進化し続ける日本のコント文化から、目が離せません。
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